引っ越し 実家〜南千里編

 真夏に実家から吹田市の南千里に引っ越した。2024年8月下旬頃。一つ前のnoteでも書いたが、南千里に決めた理由は周りに緑が多く静かなことであった。
 住み始めてから気づいたが万博公園も近く、国立民族学博物館にはよく行っていたと思う。常設展示が面白く朝から晩まで居ようと思えば居れた。当時、特別展で民具の博覧会が行われており昔の大根おろしがあったのだが、板に釘が50本くらい打ち込まれていてその知恵が面白かったことを覚えている。
 引っ越し先は築50年ほどのRCのマンション。5階立ての5階でエレベータはなし。制作の作業部屋はどうしても欲しかったので広めの部屋を借りた。かなり古い設備ではあったが一応バストイレ別で独立洗面台もあった。バルコニーが広くてとても気持ちよかった。私はコーヒー豆(生豆)を焙煎する趣味があるので、時間のある時はバルコニーで思う存分手網焙煎をしていた。家賃は6万5千円くらいだったと思う。
 引っ越しをして約1ヶ月後には内定をもらっていた企業での仕事が始まったり、年末には今のパートナーと出会ったり、大学時代の研究室の先輩が近くに住んでいてご飯に行ったり。
 あとは十三の第七藝術劇場には映画を観るために週末はわりと通っていた。最寄りの南千里駅から十三駅まで阪急電車一本で行けることが大きかった。十三は好きな街になった。カッスルクームという喫茶店では夜のお店の人(男性も女性も)がタバコをガンガン吸いながらだべっていたり、泉という喫茶店では定食が安くて美味いし居心地いいし、チャイニーズキッチンSAKAMOTOの担々麺は美味すぎるし。
 十三以外だと緑地公園近くのblackbird booksにもよくチャリで行っていたと思う。実家にいた頃は遠くてなかなか行けなかった。
 で、2025年に入ってもしばらくは淡々とした日々を送っていたが、アカデミックの求人情報はよく探していた。そんな中、夏頃に自分のスキルを活かせそうな公募が見つかったのでエントリーをした。浜松にある芸術大学での助手の業務だった。エントリーをするまで色々と葛藤はあったが、筑波の院時代の同じ研究室で仲良くしていた友人に色々相談し、彼がたくさん後押しをしてくれた。最終的に11月末には内定をいただいた。
 勤めていた企業も退職し、少しばかりの個人業務をしつつ、時間があれば生豆の焙煎をしてコーヒーを淹れ、南千里での残りの生活を自分なりに楽しんでいたと思う。
 2026年に入ってから浜松の物件を探し始めた。いかんせん私にとっては土地勘が全くなかったため、現地の不動産屋さんに色々と教えてもらって部屋を決めることができた。南千里の部屋はおよそ1年半くらい住んでいた。今思うとこの期間はあっという間だった気がする。